カーニス流無血剣法 Khanis School of Unbloody Sword
ハーク三公国のひとつナラム=ハーク公国当主の次男であったカーニス・ハークは、ルミス流剣術を皆伝まで修めたものの物足りないものを感じていた。ルミス流は、たしかに誰もがが努力すればそれなりの技術を身に着けることができるという点で優れてはいたが、それは王者が納めるべき剣術と言いうるのだろうかと考えたのである。 王たるものが剣を取るようでは戦いは負けたも同然である。王者に必要な剣術とは、不意打ちされた際などに味方が駆けつけてくるまでの間身を守るための護身術としての剣術なのだと喝破したカーニスは、身を守るための剣術として無血剣法を考案したのであった。その後、カーニスは後に無血剣法に王者としてのとりあえず負けないことを目的とした政治・軍学を加えて集大成し、子孫に伝えたのである。
代々ナラム=ハークの公子によって秘伝として伝えられてきたカーニス流無血剣法が転機に立ったのは、結果としてナラム=ハーク公国を含めたハーク三公国をも滅ぼすこととなった第二次ルヒック独立戦争によってであった。
当時のナラム=ハークの公子イシャス・ハークが、最終的には敗北したものの、無血剣法の理論を利用してルヒックの天才軍師クィットスの猛攻・奸計を食い止めたため、それに着目したのちのルヒック皇帝マーシェンがイシャスの命を助け、指南役に取り立てたのである。ルヒック帝国の伸張に伴いイシャスの権限も増大し、二代皇帝の摂政にまで取り立てられさえしたのであった。
そして、三代皇帝「英明帝」ノムスが文民政治への移行のための方策の一環として無血剣法の貴族への流布を決定、それまでは秘剣の部類であったカーニス流無血剣法が世間に広まることになった。
ルヒック帝国の崩壊に伴いハーク家の権勢は崩壊、現在でも無血剣法を伝承するハーク家の人間が仕官を求めて旅をしている。
無血剣法は剣理として巧みな攻撃よりも間違いの無い防御を重視しているためにつけられた名であり、言うなれば自分自身が無傷・無血のままで戦いを終えるための剣法である。 身を守ることを最優先とするこの無血剣法には、刀を持たないときにも身の回りのものを利用して攻撃を避ける手段も含まれており、最悪の場合には素手で刀などをさばくことさえも考慮されている。
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